06_ 百章(宮津市)
- 7月10日
- 読了時間: 8分
FOCUS
丹後の生産者をご紹介
宮津市
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06_ 百章
宮津で檸檬を育てる理由。
6月初旬。
初夏の陽光が柔らかく注ぐ宮津の圃場(ほじょう)に、檸檬の木々が並んでいます。
かつて耕作放棄地だった場所は、檸檬の栽培地へと姿を変えました。
宮津・日置地区。天橋立を一望できるそのエリアで育てられた、黄色く実の成る檸檬。
寒冷地での檸檬露地栽培を実践されているのは宮津で檸檬栽培を行う『百章』さん。
「100年経っても色あせない、老舗のような存在でありたい。」
そんな願いを込めて2021年4月に名付けられた『百章』。
『土を耕し、文化を醸す』というコーポレートビジョンの通り、
宮津の土を耕し、そこで採れた作物から
この土地ならではの文化を醸していこうと試みるのは、
共同代表の矢野大地さんと関野祐さん。
今回は、代表の矢野さんに取材。
なぜ宮津で檸檬を育てるのか、
どのようにして文化を醸していくのかについてお話を伺いました。
かつて教師を志していた矢野さんは、いかにして宮津で農業を営み、
なぜ檸檬という作物を通して、次世代へ続く物語を紡ごうとしているのでしょうか。
『百章』共同代表の矢野大地さん
・
教師の道から、宮津の檸檬農家へ
「農業を自分の人生に組み込むなんて、当初は考えてもいなかったんです。」
矢野さんは小学2年生までは京都市内で育ち、高校卒業までを宮津で過ごしました。
海が近く自然が暮らしの一部だった宮津での日々。一方で、多感な中高生時代には、地元の友人が地元を「退屈な場所」と自嘲する姿を目の当たりにします。都会を経験したからこそ、宮津が持つ稀有な豊かさに気がついた矢野さんは「この土地の価値を伝え、貢献できる大人になりたい」と考えるようになったそう。
当時身近な存在だった教師を目指し、大学では教員免許の取得を目指していた矢野さんの進路を大きく変えたのは、大学時代に身を投じた高知での経験と、1年次に直面した東日本大震災でした。
まず矢野さんの高知での生活は、驚くほど濃密なものだったとか。
山で獣を狩る”狩猟”に身を投じ、都会から訪れる人々のためにシェアハウスを運営するなど、場をつくることに没頭していました。同時期の大震災を経て、大学在学中に休学して向かった被災地での支援活動や高知の山間部での暮らしを通じ、地方が抱える閉鎖的な空間や、失われゆく地域の営みを肌で感じることになります。
「30歳を前に、地元の宮津へ戻ろう」と決意したとき、頭にあったのは「家族が代々所有していた耕作放棄地を、どう活用するか」という問いでした。
ただ、宮津という土地は決して農業を始めるのに好条件とは言えません。北海道のように広大な農地が広がるわけでも、実家が農家で設備を受け継げるわけでもない。
何もないところからのスタートは、なかなかに厳しい現実だったとか。
まさに農地も設備もないゼロからのスタート。
それでも、観光産業が盛んなこの街で、訪れた人が宮津の土地を体感できる仕事がしたい。
そこから何を育てるかを考えた結果、実家で矢野さんの母親が育てていた檸檬の木からヒントを得て、「新たな地域創生に繋がる商品」として檸檬を育てることを決めました。
健やかな実りをもたらすのは、枝の重なりを緻密に調整する日々の剪定が肝要とのこと。
そのほかにも地元牧場の堆肥と有機基準の資材の利用など、
収穫のしやすさだけでなく、木全体の生育環境を整える細やかな手仕事によって
「自分にとっても安全で納得のいく檸檬づくり」が行われていました。
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6次産業を、農業を続けるための「余白」として
「農業の仕組み自体、そのままでは続けていくことが難しい」と矢野さんは語ります。
大規模農家や独自の販路を持つ農家を除き、
従来の根性論に頼るだけでは、先細りになってしまうという現実を肌で感じてきたからこそ、彼らは「稼ぐ仕組み」を先に構築し、その土台の上に農業を組み込む道を選びました。
百章のつくりだす加工品の開発も、すべては「農業を持続可能にするため」の手段と位置づけています。
百章さんのプロダクトの1つである檸檬胡椒(写真左)
「檸檬胡椒はまさに6次産業のプロダクト開発からはじめて1次産業の農業があとからついてきている一例です。」と矢野さん。
百章さんの人気プロダクト「まだ、名もなきレモネード」も、
そんな百章の姿勢の象徴です。
当初は自分たちの檸檬がまだ実っていなかったため、他県の檸檬を使いながらのスタートだったそう。販売準備の2週間、最後まで名前が決まらずにいたときに「自分たちの檸檬はまだ実っていないのだから、名前がなくてもいいじゃないか」と決断されました。
それは単なるレモネード屋としてではなく、「いつかこの地を産地に」という夢を掲げた途上の姿をそのまま名付けたもの。実績がないからこそ、言葉を尽くし、想いを共有することで周囲を巻き込んできました。
「いつ名前がつくの?」と尋ねられることもあるそうですが、完成されたものではなく、常に挑戦しながら発展していく。そんな過程そのものを楽しむ姿勢こそが、この名前に込められています。
キャッチ―なネーミングで目を引く瓶詰のレモネードシロップ
『まだ、名もなきレモネード』。
食べるレモネードというコンセプトの通り、具沢山の檸檬が入った贅沢な一品。
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一次産業を身近な選択肢にするために
「檸檬は8ヶ月間、収穫の対象として木に実り続けます。
この供給の安定こそが、農業としての強みなんです。」
日本海側のように雪の降る地域では、通常、檸檬栽培は行わないもの。
それでも百章は、あえてその難しい環境に挑戦してみたかった。
寒さが大敵とされる檸檬にとって、海が近く、日照と気温が穏やかに保たれる宮津という土地の可能性を信じ、トライを重ねてきました。
今では成木の1本あたり50キログラムの平均収穫量、
個数にして約500~600個の収穫量だとか。
露地がメインですが、加工品の安定供給を目指しハウスでの栽培も実践中です。
「檸檬の木に雪吊をしている檸檬農家はうちくらいかも」と矢野さん。檸檬栽培は現在露地8割、ハウス2割とのこと。
海が近く、日照に恵まれ、雪解け水も豊かな日置地区。由良みかんの産地としても知られる宮津は、寒冷地であっても檸檬を栽培するには可能性のある環境でした。
ハウスは1か月半早く収穫ができるため、グリーン檸檬を先に加工し、プロダクト化へつなげているそう。
剪定や収穫の際に神経を使う鋭い棘は、木が十分に栄養を蓄え、良質な果実を実らせるための健全な生命力の証明でもあります。
百章が目指すのは、農への入り口を広げること。
仕事はひとつでなくてもいい。
兼業や複業が当たり前になった今、1次産業の農業も漁業も林業も、
誰もが気兼ねなく参入できるプラットフォームでありたいと矢野さんたちは考えています。
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境界を越え、循環するチームのかたち
矢野さんたちの働き方は、地域に閉じられていません。
高知で触れた風土や経験を大切にしながら、宮津という土地にどう落とし込むか。
他所の知見を単に真似るのではなく、宮津の気候に合わせて丁寧に解釈し直す姿勢こそが、百章という活動の根幹ともいえます。
そんな挑戦を支えるのは、チームの調和。
地元で長く保険の営業職をされてきた関野さんが地域の信頼を繋ぎ、矢野さんの挑戦をしっかりと土地に根付かせています。
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100年後へ続く物語
「6年経ってやっと大きく展開できるようになってきた。いままでは夢だけ語っていましたが、実績を積んだおかげで地域の方にも徐々に納得してもらえるようになりました。」
車道から檸檬畑をみて、わざわざ圃場まで見に来てくれる方もいるんですよ、と矢野さん
田んぼの広がる圃場の中に檸檬の木を植え始めた当初、周囲の視線は決して温かいものばかりではなかったそう。しかし、実際に果実が実り、一つひとつの積み重ねが確かな実績として映るようになるにつれ、地域の風景もまた少しずつ変わっていきました。
今では地域の方からハウスの利活用を相談されるまでに。「根気強く続けてきてよかった」と語る矢野さんはどこか安堵の表情を浮かべていました。
百章が蒔いた種は、いまや地域の協働の輪として大きく広がりつつあります。
矢野さんが見据えているのは、目の前の収穫だけではありません。「100章続く物語」という名の通り、自分たちの代だけで終わらせず、次世代へバトンを繋ぐこと。宮津の豊かな土地を、未来へ残していくことが「百章」のビジョンです。
ビジョンを着実に実行するための一例として、すでに新規就農をめざす若者の受け入れや教育の場でのセミナー開催を行っているそう。ここでは矢野さんの本来のキャリアがこの場でも存分に生かされています。さらには、次なるプロダクトの構想に向けた試行錯誤も実践中だとか。今後は地域の方との協業もできていけたら、とも矢野さんは話します。
もとはハウス内の通気調整のために始めたパッションフルーツ栽培。
『檸檬が実るまでも土地を遊ばせず稼ぐ』という香川の師匠の教えを、宮津の地で実践中とのこと。
先の読めない気候変動の中、こうした新たな試みもやがてこの土地の主役になる可能性を秘めているのかもしれません。
100年後の逆算の構想から始まる
百章の挑戦は、まさに「まだ、始まったばかり」。
この地で育まれる物語が、これからどんな景色を描いていくのか。
その展開が今から楽しみです。
取材日:2026年5月
取材先:株式会社 百章 圃場
Information:
株式会社 百章
〒626-0017 京都府宮津市島崎2016








































